20090929(Tue)
|
無事入稿したので、トップに寿2009のインフォメを繋げました。よろしかったらご参考下さい。11月オンリーの原稿がまだまだ残っているので、手離しで開放感は味わえませんが、ちょっとだけほっとしました。インフォメに書きましたが、再録本はイベント後に快適本屋さんで業者通販やっていただきます。自家通販は11月オンリー後に、11月新刊と共に短いですが実施予定です。
原稿中は腰痛と肩こりがいつにも増してひどくなります。 「あー痛いー」となったら途中で休憩して、軽いストレッチみたいなものを一人でやります。 昨日も気分転換がてらストレッチをしました。 本格的なものでは全くなく、身体の筋を伸ばすだけの簡単なものなんですけど、やってる間は基本的にぼんやり何も考えません。 ヨガの瞑想のような精神世界の高尚なあり方じゃなくて、ただ単に本当に何も考えてないだけです。天井の模様とか、床の木目とかぼーっと見てるだけというか。 それでそのストレッチが終わった後、SD7巻読んだんですよ。 いわずと知れた、駄々っ子in体育館の巻です。 私は原稿中は絶対7巻と10巻と22巻と29巻は、常に手の届く所においているからです。 それで何度読んだか知れない7巻をストレッチ後の無心状態で読んだら、マジで、なんかもう精神世界の出来事に近いんですけど、初めてSD読んだ人のような新鮮な気持ちで読めたんですよ……! 我ながら何か新興宗教の勧誘のようなことを言い出したな……と思いますが、本当なんだから仕方ない。 私の7巻の熟読度は相当なものであると自負しているのですが、ストレッチ後に脳内麻薬が出てるのかなんなのか分からないんだけど、正義の味方参上!辺りでものすごい新鮮な気持ちで「な、なんだって!!?」と思えたんですよ。 知ってるのに、そこであの人たちが登場するって知ってるのに。 そこだけじゃなくて、流川に初めて殴られた三井が「ほ!?」と言ってブッ飛んだシーンや、あの洋三的伝説のシーン、見開きでガパッも、「う、うそ……そんな事が……!?」と思って読めたんですよ。 読み終わった後、7巻を机の上において私は真剣に考えました。 この現象は何かと。何であるかと。 それでしばらく考えてある一つの答えが出ました。 これは「味の向こう側」である、と。 「味の向こう側」をご存じない方に一応説明しますが、「味の向こう側」とはお笑い芸人のキリン・田村さんが、貧乏ゆえ食べるものがなくて、一つの物を食べた時にすぐに飲み込まず、ただひたすら噛んで、味がなくなっても噛んで、それである時味の向こう側にいけた、というエピソードから生まれた?単語です。 これの食べ物を読書に置き換えれば、味の向こう側にも説明がつくと思います。 SDは連載終了後10年以上経った作品です。 現役連載作品のような、新しい萌えが原作から投下されることはおそらくこの先ありません。 萌え貧乏という状況な私たちに必要な事、それは味の向こう側に行く事なんではないでしょうか。 食べ物を食べる時飲み込む前に咀嚼という一手間がかかりますが、今回私はストレッチという一手間をかけた事が擬似咀嚼になり、なんかもう「無」で7巻に挑めたから味の向こう側に行けたんではないかと考えています。 SDを新鮮な気持ちで楽しむために、新たな萌えを探るために、こうなったらもう皆行くしかないですよ、味の向こう側に。 行こう!味の向こう側!! と、軽く言ってみた所で図書館や献血のように行けるものでもなく、なんかこいつ目ェイッてんじゃね?的なヤバさを我ながら文章に感じますが、連載終了10年という重みの前では風の前の塵に同じ! 新鮮な気持ちでSDを楽しんで、オンやオフが活性化したら最高じゃないか!と思い、書いてみました。 とりあえずストレッチしてから好きな巻を読む、というのをオススメしてみます。
……でまぁ、そういう事を昨日真剣に考えていたので、原稿は全く進みませんでした。 | | |